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久留米物語

「からくり儀右衛門」と呼ばれた男 東芝の創業者 田中 久重発明工夫をもって天下に名を揚げたい。
からくりの才から近代科学技術の先駆者へと、新しいモノづくりへ挑戦。

 JR久留米駅前広場に『からくり太鼓時計』があります。これは、「からくり儀右衛門」こと田中久重が製作した『太鼓時計』をモデルにしたもので、定時になると、時計盤が回転して久重の人形が現れ、考案した作品を身振り手振りで説明する仕掛けです。
江戸後期、久重は久留米藩の城下・通町に、鼈甲細工師の長男として生まれました。鼈甲細工は精密な工芸で、その技術を目の当たりにして育った久重は幼い頃から発明の「虫」でした。ある時、彼は父の道具で硯箱をつくり寺子屋の仲間に開けさせようとします。しかし、誰も開けることができませんでした。引き出しに紐がつけられ、捻り加減で開閉するという独創的な仕組みだったのです。これが9歳の頃につくったとされる『開かずの硯箱』です。
久重が生まれ育ったこの頃、からくり人形は各地で興行されている庶民の娯楽でした。久重の家の近くにある五穀神社の祭礼でも、老若男女が仕掛けで動く人形を楽しみにしていたといいます。久重もその精妙な動きに心を奪われ、寝る間を惜しんで考案と製作に没頭しました。両親は家業に精を出すように諭しましたが、久重はこう言いました。
「私は発明工夫をもって天下に名を挙げたいと思います。家業は弟に継がせてください」
それから、久重は五穀神社で自分のからくり人形を次々と披露しました。後に、からくり興行師として大阪・京都・江戸などをまわり、修行を重ねています。水力を利用した久重のからくり人形は大変な評判を呼び、彼のまたの名「儀右衛門」に因んで、「からくり儀右衛門」との名が広まりました。次第に、久重はこう考えるようになります。
「人々の役に立つものを作りたい。それも新しいものだ。それには科学の技術が必要になる」
36歳の頃、久重は大阪に移り住みました。庶民が安定的な灯火を求め始めた頃で、彼は次々と『懐中燭台』、『無尽灯』などの照明器具をつくって販売しています。そのかたわら、独学で時計の修理をしていましたが、一人前の時計師になるには金属細工やからくりの才に加えて天文暦学という新しい知識が必要でした。ほとんど独学だった久重はこう決心します。
「師についてしっかり学んでみよう。そして、新しい技術をわがものにするのだ」
久重は50両という大金を納めて、京都の土御門家に入門しました。49歳の頃です。後に、和時計の最高傑作といわれる『万年時計(万年自鳴鐘)』を製作しました。
さて、明治6年(1873)、久重は意気揚々と久留米から上京しました。75歳のときです。それまで、幕末の頃に佐賀藩に招かれて主に蒸気船のボイラーなどを製造した後、久留米でも藩の製造所で小銃などをつくっていました。そこに、明治政府から電信事業への協力を求められたのでした。久重は一流の技術家だと認められていたのです。明治8年(1875)、久重は東京・銀座に工場兼店舗を構えました。これが株式会社東芝の創業となっています。
あるとき、久重は「万般(全て)の機械考案の依頼に応ず」との広告を店頭に掲げました。工場は工部省の指定として電気機器を製造していましたので、その注文で手一杯というときです。迷惑そうにしていた店員たちに、久重はいいました。
「これも国の為になることだし、人扶けにもなることたい」
それからは、有益な機械の相談には損得抜きで応じたといいます。
久重は83歳で亡くなりました。彼は次のような言葉を残しています。
『知識は失敗より学ぶ。事を成就するには、志があり、忍耐があり、勇気があり、失敗があり、その後に、成就があるのである』 独立独歩で、新しいモノづくりへ挑戦し続けた久重の人生哲学です。

写真=(弓曳き童子・からくり太鼓時計)
主な参考資料=『田中久重伝』・『からくり儀右衛門』他

取材、執筆 オフィスケイ代表 田中 敬子

引き継がれる田中久重の魂
  • からくり太鼓時計
  • 福岡県青少年科学館
  • 【からくり太鼓時計】

    JR久留米駅まちなか口にある「からくり太鼓時計」は、日本の近代技術の発展に大きく貢献した、郷土の偉人「からくり儀右衛門」こと田中久重が製作した「太鼓時計」をモチーフに、平成11年に設置されました。8:00~19:00の間の毎正時毎に、時計盤が回転し、儀右衛門人形が現れ、「赤いスイートピー」や「涙のリクエスト」、「上を向いて歩こう」「筑後川」など久留米市出身やゆかりの方々の音楽(BGM)が流れる中、無尽灯、弓曳童子、童子盃台、万年時計などの発明品を紹介します。

  • 【福岡県青少年科学館】

    からくり仕掛けのみならず、天文学や西洋の科学技術を吸収し、明治の近代科学の発展にという重要な役目を果たした田中久重の魂は今も久留米市に引き継がれています。 中央公園内にある青少年科学館は、科学の面白さ、不思議さを直接感じ、科学に対する興味をもつことを目的に平成2年に開館。地球をイメージした水と重力のオブジェに迎えられ、館内に入ると、見て、聴いて、触れて、動かしてと楽しく体験できるコーナーや展示物があります。また、直径23メートル、傾斜角30度の傾斜型ドームのコスモシアターでは、プラネタリウムや大迫力の全天周映画が楽しめます。

  • 【住所】
    久留米市城南町2-21
    【アクセス】
    ・JR鹿児島本線「久留米駅」下車、まちなか口側おりてすぐ
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    【リンク】からくり太鼓時計
  • 【住所】
    久留米市東櫛原町1713
    【アクセス】
    ・JR鹿児島本線「久留米駅」より西鉄バス利用
    T・ジョイ久留米行き、または23番 「青少年科学館前」下車すぐ
    1、7、8、9、20、22、25、48番 「五穀神社」下車、徒歩約5分
    ・西鉄天神大牟田線「久留米駅」から徒歩約15分
    ・九州自動車道「久留米IC」から約5分
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    【リンク】福岡県青少年科学館
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