嘉永6年(1853)に久留米藩士の矢野一貞が残した「筑後将士軍談」に「山辺街道の南側にあり、当国一の大塚なり」と記されている田主丸大塚古墳。
平成4年からの調査で高度に組まれた葺石や石室の入り口などが確認され、南側斜面上に前方部をのばす大型前方後円墳であることがわかりました。後円部の直径が60メートル、全長103メートルで六世紀の後半に築かれたと推定され、その時期では九州最大の規模を誇ります。しかし、その規模にも関わらず、文献も地名にまつわる氏族の伝承もない謎につつまれた古墳です。
埋葬された人物も、死後もなお筑後平野を眼下に見下ろすことを望んだのでしょう。墳丘の頂上に立てば、今も絶景が広がっています。